2020年2月、ロシア。
私はいわゆる「シベリア鉄道」の列車に揺られていた。外はマイナス20℃の世界。
始発のウラジオストクから目的地としているノヴォシビルスクまでは4日間。朝から晩まで、ひたすら列車内で過ごす。
座席は「プラッツカルト」と呼ばれる最も安い寝台席。いつまでも変わらない景色に飽き始めた頃、軍服を着た一団が乗り込んできた。
ロシア兵と聞くと、なんだか寡黙で冷酷なイメージがある。私もそうだった。
しかし、彼らは思った以上にフランクに話しかけてきた。
「やぁ!お前はどこから来たのか?!」
ロシア語は一切わからないのだが、きっとそんなことを言っているのだろう。ちなみに英語は一切通じない。
「ヤポーニャ(日本)」
そう答えると、そうかそうかと言葉も通じないのに輪の中に入れてくれた。
彼らの年齢は私と同じか、少し若いくらいか。身振り手振りと翻訳アプリで、本当にくだらない会話をしていた。
インスタに上げた恋人の写真を見せてくれたり、軍隊の帽子を被せてくれてり…。
外気温を忘れるくらいその列車は暖かかったなぁ。
だから信じられないし、信じたくもない。彼らが愚かな祖国のために銃を取り、隣国に生きる人々の命や尊厳を奪っていることを。
だれかの子であり、孫であり、友人であり…そして私の旅を彩ってくれた存在である彼ら自身の命もまた脅かされ、あるいは、すでに失われているかもしれないということを。
1945年8月6日の広島。
朝8時15分に原子爆弾が投下、上空で炸裂した。
強烈な熱線、爆風、放射線が注ぐ。この街にいた十数万の人々は、想像できないような苦しみとともに亡くなっていった。
9日には長崎にも投下され、さらに数万人が犠牲となった。
みんな、食事をして、家事をしたり勉強をしたり仕事をしたり。一人一人に名前があって家族がいたり、友人がいたりした。
子どもたちは、その一瞬で幸せな未来を奪われた。
そんな悲劇があったにも関わらず、未だに核兵器は地球上に存在する。それを是とする考えが、被爆を経験した日本の中にもある。
思えば、聖書において私たち人間は数えきれないほどの犠牲と、払いきれないくらいの授業料を払って間違ってきた。間違いの歴史ばかりだ。
しかしながら、私たちは懲りずに間違い続けているし、その上に間違いを重ねようとしている。本当に弱い生き物だ。
ウクライナやロシアにいるのは、1945年の広島や長崎にいたのは、生まれた場所と時間が少し違うだけの私たちなのである。
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)」
欲や名誉のため、いろいろな言い訳を添えて始まる戦争。
リアルタイムに世界の平和が壊れているのを感じる日々で、それを「つくる」ことの難しさをますます感じる。
もし2年半前のシベリアに戻れるのなら、彼らに「国のために死ぬことはない」と言ってやりたい。平和をつくってほしいと。
もっとも、そんなことを思っても逃げられないのが戦争の残酷さなのだが。
争いが1日でも早く止むように、恐ろしい兵器が使われることがないように。
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