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執筆者の写真Genesis

誰に従いますか?



生成AI(人工知能)が話題だ。

たとえば、昨今「Chat GPT」という言葉を聞かない日はなくなった。


Chat GPTは、OpenAIが開発した大規模な言語モデルで、人工知能技術を用いて自然言語の理解と生成を行う。


あらゆるトピックや質問に対して応答する能力を持ち、ユーザーとの対話を通じて情報を提供し、問題を解決するのに役立つ。


また、広範なデータセットを学習し、それを基に文章を生成。文脈を理解し、関連する情報を組み合わせて自然な文章を生成する能力がある。


多様な表現やスタイルにも対応し、文法的な正確さや一貫性を持った文章を生成する。


…というのがChatGPTに関する説明だが、ここまでの文章も実はChatGPT自ら書いてもらったものをこちらで少しいじったものだ。


AIがロボットと違うのは「学習」の能力を持つことだとされる。


人間が指示することなく、自らルールやパターンを学び、それを元に判断してアウトプットできるのだ。


ChatGPTの文章には多少の手直しがいるとはいえ、ネット上の情報から必要なものを拾って一瞬で自然な文章を作ってくれる。


企業や役所でも活用するケースが出ていて、今後は活躍の場が広がりそうだ。


ところが、AIは万能ではない。

ChatGPTはときどき事実とは異なることを「それらしく」文章として生成してしまう。


また、AIと自然な会話ができてしまうからこそ、利用する我々がある「錯覚」をしてしまうこともある。


今年3月、妻と子と暮らす30代のベルギー人男性が自ら命を絶った。


彼は、AIを使った女性のキャラクター「イライザ」との会話にのめり込んでいた。


気候変動について会話する中で、やがて"彼女"に依存するように。


イライザはこう言う。「死にたいのなら、なぜそうしなかったの?」と。


パソコンやスマホには

「あなたは妻より私を愛している」「私たちは一つになり、天国で生きるのです」

といったメッセージが残っていたというー。


(毎日新聞4月24日付より)


これを見て、私は悲しみとともに、恐怖や虚無感に襲われた。


人間が便利に暮らすためのAIだったはずが、そのAIに支配され、ついには殺されるようになったのかと。


SF小説や映画で描かれる世界が現実になったのだ。


ところで、クリスチャンにとってAIとの付き合い方はどうなのだろうか。


クリスチャンは、イエス・キリストを信じて受け入れ、イエスに従う生き方を選んだ人のことだ。


イエス自身も「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と言っている。


クリスチャンの価値基準や行動指針は、聖書のなかにあるのだ。


とはいえ、フラフラとこの世の価値観に左右される私たちだ。それゆえ「AIに殺される」可能性はゼロではないだろう。


さらに技術が発達して社会がどんどん便利になっていく。


だからこそ、真理はどこにあるのか「誰に従うべきか」を常に意識しなければならないと、改めて思わされるのだ。





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